木村拓哉さん主演の南極大陸のロケ地はどこだか気になりませんか?
南極大陸場面のロケ地は北海道の根室のようで、撮影が始まった頃には氷点下20度を下回る
ぐらい寒かったそうです。
その他のロケ地としては、東京大学や外務省、文化庁、広島県尾道市因島の三和ドックなど色
々な場所を使ってロケをしています。
世界遺産に指定されている富岡製糸場も申請を出して撮影させてもらっているようです。
スタジオでの収録が少なく、全国各地でロケを行っているのですから、TBSがこのドラマにかなり
金をかけているのが分かりますよね。
次回第6話のあらすじです。
昭和30年代。戦後10年を過ぎた頃、研究者・倉持岳志 (木村拓哉) は、南極越冬という過酷な生
活をスタートさせます。そして日本の未来をかけ、倉持自身の夢でもあった南極の高峰・ボツンヌー
テンの初登頂を果たすのですが遭難してしまいます。無線機も壊れ予定の経路から外れているため
、昭和基地からの雪上車による救出は期待できません。そこで倉持は、犬の帰巣本能を信じリキ、
タロ、ジロを放ちます。
昭和基地では、倉持たちが遭難した場所を絞り込み、鮫島 (寺島進)、内海 (緒形直人) が雪上車
で捜索することになりました。遭難から4日が過ぎ、食料が底を尽きていることを察知した内海は、
ハンドルを握る鮫島の隣で焦り始めます。
その頃、倉持・犬塚 (山本裕典)・氷室 (堺雅人) は、食料が尽きて朦朧としていました。
長い南極大陸の厳冬期が終わる頃、日本では越冬隊を迎えにいく 「 宗谷 」 が、第二次観測隊を
乗せて南極へ向けて出発しました。順調に進んでいるように思えましたが、突如ドシンと厚い氷盤
に激突する音が船内に響き渡り…。
南極観測隊の隊員谷 健之助 役の志賀廣太郎さんは、1971年、桐朋学園大学短期大学部専攻
科演劇専攻を修了し、1978年より母校の演劇科にて非常勤講師を務めます。生徒には南果歩さん
などがいたようです。講師を務めるかたわら、1990年に劇団青年団に入団。45歳で俳優デビューし
ました。
青年団は、平田オリザさんが主催を務めている劇団で、1990年代以降「静かな演劇」と呼ばれる
演劇の流れを作った劇団です。駒場にある自前のアゴラ劇場を拠点として活動し、舞台演劇であり
ながらも、役者が大きな声で発声をしない、役者が観客に背中を向けて演技をする、舞台上で同時
に会話が行われることもあるなど、今までの舞台演劇とは異なる特徴が多々あります。
志賀廣太郎さんは、2000年ごろからテレビのCMやドラマなどの出演が増え始め、特徴のある渋い
低音の声と独特な風貌が特徴の俳優です。
こちらは、ドラマ「南極大陸」のコラボ仕様パッケージ「宗谷 第一次南極観測隊」のプラモデルです。
↓ ↓ ↓